雪割の君
審問者として選ばれた私は、白刃隊なる部隊を率いて戦っている。華も恥じらう年頃は過ぎたけれども、戦いに身を投じるなんてものは非日常だったはずの女だ。
ある時にうさん臭い研究者に声を掛けられ、歴史を正しく導いてみませんか? などという熱烈な勧誘を受けたことがきっかけだったことだけは覚えている。
私の生きていた西暦2205年という時代において、科学が発展し刀なんていう古臭い物は忘れ去られていた。しかし時代を改変しようとする輩の出現により、その認識を大きく変えることとなったのである。
過去という時代へ渡る技術はあったものの、歴史改変に立ち向かうためには私達もまた歴史を変えてしまわないようにという配慮を必要とされた。要するにバズーカだの戦車だのを率いて行く、なんて無茶苦茶なことは歴史を大きく変えてしまいかねないと政府が判断をしたのだ。
その時代にふさわしいものを用いて戦うという制限の中、科学ばかりに頼ることはできず政府が手を借りたのは今まで忘れ去られていた古きを扱う者達だったのである。
日本は古くより付喪神という存在を信じてきた、それらに「眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技」を用いるのが審問者なのだそうだ。私はご先祖がそういった技を持っていた人らしく、素質があるのだろうと政府からスカウトされたわけである。
正直、面倒だとは思わなかった。その流れる血に則り、私は昔から古い物が好きだったので。特に日本刀というものをこよなく愛していて、小さい頃は冗談なのか本気なのかわからない結婚したいだなんて子どもらしいことを言っていたのだそうだ。
だから刀が自ら動くだなんて夢のような話であり、二つ返事で引き受けた私は過去へと飛んだ。そこで出会った刀の一振りに奇しくも私が昔、結婚したいだなんて口走った刀がいたのだ。
彼の名は『江雪左文字』という、私の時代でも昔から国宝として扱われていた美しき一振りの太刀だ。
* * *
内番を命じていた彼は、その美しい肌を泥に晒している。紺色の作務衣から伸びる腕が、鍬を振っていた。刀が鍬を振っているだなんて、ちょっと変な話だ。汗水を垂らして日々の暮らしの糧を得ることは良いことだ、そう言っているものの現代では国宝として扱われる刀が畑仕事だなんて。
私だって心苦しいのだ、けれども隊を率いる審神者として贔屓はいけないことだと思う。それでも山さんからは主殿は好いた男には甘いのう……と言われる始末であった。私ってそんなに特定の刀に対して甘いだろうか、きっと自覚がないところが性悪なのだろう。
労いに茶を出しても無表情は崩れない、感情がないのかとも思える程に。その横顔は凛として美しい。まるで雪割草のようだなと見惚れてしまう私がいた。馬がいななく声を聞きながら、茶を煎れた湯呑みをそっと縁側に据わる彼へ差し出した。
「雪、お茶だよ」
「……私には、江雪左文字という名があると言いましたが?」
「でも雪は雪だよ、キレイだからね」
偽物くんだったら顔をしかめたことだろうけれども、まんざらでもないのか少しだけ嬉しそうだ。やはり著名な刀である彼は、自らを打った刀匠と自らを誇っているのであろうか。だから私が雪、と呼ぶことを快く思っていないのだろう。それでも、その儚げな雰囲気は冬を染める白い雪そのものに思えた。
「……戦いに身を投じる私を美しいなどと、貴女は変わった方ですね」
「そうかな」
「自ら戦いを望む貴女もまた、変わっている」
私は、戦いたくなどなかったのに。そうやってどこか遠い過去を見る目が悲しいけれども、彼をまだよく知らない私はわかった風に慰めの言葉を掛けることもできない。ただ、君が戦わなくていい世界に連れて行けたらいいなあという漠然な思いだけがあるのだ。
私だって戦いたいわけではない、血気盛んな女だと思われているのかしら。乙女を演じて気を引こうとは思わないけれども、私は彼らを徒に戦わせたいと望んでいるのではない。
「雪は戦いが嫌いなのに、私が連れて行っても文句一つ言わないね」
陰ではどうか知らないけれども、おとなしく刀として連れているときの彼は酷く無口だ。語り掛けても何も言わない、まるで心を閉ざしているかのように。
道具として彼らを扱う私は彼らからすれば惨い存在なのだろうか。彼は何も言わないから、少しだけ不安になる。それでも、歴史を改変する者たちをのさばらせるわけには行かない。過去が変われば、自らの消滅だって有り得るのだと政府が言っていた。
私は怖いのかもしれない、自らを守るために彼らを道具にしてしまう。そんな自分も怖くて、けれども実際は自分がいた時代が変わってしまうことはもっと怖いのだ。臆病なのに、彼らを戦いに駆り出す。
気にしないようにしているはずなのに、山さんが言うように誰かを贔屓して許されたいとか望んでいるのだろうか。雪をキレイだなんだと褒めて、肯定してほしいだけなのかもしれない。
「それは、貴女が審神者だからですよ」
「それだけなの?」
「……あまり困らせるようなことを仰らないでください」
それ以上を望まれるならば、他の者に。そう涼やかに告げる、私の心を知っているような口振り。私は自分のいた時代で見た彼を、幼い頃から愛していた。決して手が届くはずのなかった、憧れの刀が傍にある。それが人の形をしているのならば、人として欲してしまうのは当然のことなのに。
「戦いたくないなら、もう君を戦に連れて行ったりしないよ」
「主?」
「それならそうと早く言えばよかったのに」
そんな冷たい言葉を投げ掛ける、無表情がみるみる悲しそうな目に差し替えられていく。心苦しいけれども、だって戦うのが嫌いだって言ったのは君だからと言い訳をするのだ。そんな折、向こうから駆けてくる足音があった。二人してその方向を向き、正体をしかと見る。
「おお、主殿! こんなところにおったか!」
「あ、山さん。どったのさ? そんなに慌てちゃってさ」
いつも豪儀な彼がこうも慌てる姿は珍しい、筋骨隆々なその様は歴戦の戦士らしく私の部隊の中でも頼れる太刀の一本だ。戦術面を任せている彼の、そのちょっとした狼狽えぶりはどうにも嫌な予感をさせる。
「いやなに、戦から戻って来た連中がボロボロでな……手入を頼みたいと呼びに参ったところだ」
ああ、いつもの非日常だ。もはや何も感じなくなってしまった私の心はどんどんおかしくなる一方、でもいちいち傷付いたりしていられない。だって、使命はそんなに軽くないのだ。私がちゃんと勤めを果たさなければ、未来がなくなるかもしれない。
彼らが、彼が損なわれるかもしれない。だから私は心すら殺そうと思う、私を連れ去る山さんの手がとても力強かった。それだけ私を頼ってくれているのだろう、雪はこうして私の手なんて引いてくれない。私は、彼の主としては不足なのだろうか。
「主殿」
「どうかしたの?」
「奴となにかあったのかと思うてな」
普段は筋肉がどうとか暑苦しい人なのに、ちょっと鋭いところが心臓に悪いったらありゃしない。別に、雪が戦いたくないって言うからもう戦には連れて行かないよって言っただけ。そう冷ややかに告げる、その顔のなんと醜いことだろう。
「主殿は、それが奴のためになると思うておられるか?」
「ダメかな?」
「拙僧達は戦う為に作られた刀であるからな、その言葉は少々酷かもしれん」
けれども、拙僧の主殿はそのようなお方ではなかろう? そう問い掛ける優しげな口調は、私がいた時代の父親みたいに懐かしい。遠い故郷を離れて、女一人で彼らの主となることはそう容易い話ではないのだ。それをわかってくれている、彼のような人にすがるのも当然のことなんじゃないかって。
「本当はさ、雪に笑ってほしかっただけなのに。戦わずに済んだら、あんな難しい顔ばっかしないでくれると思っただけなのに」
「ならば、そう言ってやればいいではないか」
それを贔屓って言うんじゃないの? 好いた男にぐらいなら、甘やかしてやってもよいだろうとカカカと笑われた。簡単に言ってくれる、私は審神者として心を殺したいのに。
彼を浮ついた心で求めてしまうのは、とても後ろ暗いことなのだ。人であって人でない、戦う為に生まれてきた彼らを女として愛してしまうことは罪だろう。なのに私はどうしたって、あの美しい横顔を忘れられずにいる。それが血で染まる姿を見たくないのは、本当の心だったから。
・・・雪を濁らす、血の色は?